「マニアック」と「ポピュラー」の逆転
マニアックな性質のモノとポピュラー性の高いモノだと、一般的には、「今の時代のモノ」が「ポピュラー」で、「古い時代のモノ」や「時代を先行したモノ」というのは、どちらかと言えば「マニア向けなモノ」と言う印象があると思うわけですが、
美術に関しては、この「マニア」と「ポピュラ-」の関係が逆転している場合が多いように思うわけです。
つまり、コンテンポラリーな美術こそが最も「マニアック」で、過去の美術の方が「一般的」=「ポピュラー」であることが多いわけです。
たとえば、「マニア」が多いコインや切手などのコレクションについて言うと、「いま流通しているコイン」や「今使われている切手」はコレクションの対象にはならないことが多いわけです。
(少なくとも主流ではないように思います)
まぁ、はじめから発行数が少ないと決まっているような「記念切手」や「記念コイン」などは、コレクションの対象に成るんでしょうが、
そちらも、やはり「現行の硬貨」とはやや性質が違うものだと思いますので、厳密に言うと、ごく一般的な意味での「今のモノ」ではないような気がします。
つまり、「マニア」と言うのは「実用性」とは関係ない所に惹きつけられるような人なんだと思います。
だから、「今使われているモノ」=「実用的なモノ」よりも、むしろ「もう使われなくなったモノ」=「実用性を失ったモノ」の方に惹かれるんじゃないでしょうか?
(「記念切手」や「記念コイン」も実用性重視ではないという意味では同じだと思います)
これは、必ずしも「切手」や「コイン」に限ったことでも無くて、他のモノでもほとんどの場合、この法則は当てはまるような気がするわけです。
要するに「コレクター」や「マニア」にはそういう性質があるんだと思います。
「芸術」に関しては、「芸術」自体が実用性を求めないジャンルだとも言えますから、「現在形のモノ」が最もマニアックになるのも不思議ではないのかも知れませんし、「現在形の美術」を、すでに「時代を先行しているモノ」であると考えれば、その時点で「今のモノ」ではないということに成るわけで、そういう前提で言えば、「現在形の美術」が「マニア」向けであることは、むしろ当然と言ってもいいことなのかも知れません。
ただ、美術以外の芸術のジャンルだと、必ずしもそう成っていないような気もするので、やはり、「美術」と言うジャンルは、、その点では、やや特殊なんじゃないかとも思うわけなのです。
たとえば「音楽」にしても「演劇」にしても、それぞれ「芸術」の中に含まれる分野であるわけですが、やはり、「現在形のモノ」が最も「ポピュラー」で、「過去のモノ」はどちらかと言えば「マニア」向けと言うようになっていると思います。
「音楽」や「演劇」も実用性を求めるようなものではありませんが、こういった逆転現象はほとんどないと言ってもいいような気がします。
ちがうのは、「音楽」や「演劇」においては、「現在形」=「時代を先行したモノ」ということが、必ずしも主流ではないということだと思います。
「美術」だけが、「時代に先駆けようという意識」が突出して強いように思うわけです。
「時代に先駆けようという意識」が悪いということは無いと思いますけど、それは、あくまで「創作者側の意識の問題」であって、「鑑賞者側」としては、それが本当に「時代を先行したモノ」なのか、それとも、ただ単に「奇をてらったモノ」なのかは、先の時代になってからでないとわからないわけですから、そこに、「不透明感」が生じてしまっているわけです。
この「マニア」と「ポピュラー」の逆転現象における「不透明感」と言うものが、現代美術の在り方を象徴しているようにも思うわけです。
おそらく19世紀半ばくらいまでならば、美術においても「現在形の美術」こそが「最も人気のある美術」であったんだと思います。
ところが、「芸術の20世紀」以降に成ると、「最先端の美術」は、常に「最もマニアックな美術」であって、「最も人気のある美術」ではなくなってしまうわけです。
マニアックな人気というのは、ある意味で「人気のない人気」と言うようなところがあって、「一般的に言うところの人気があるモノ」つまり「ポピュラーなモノ」は「マニアック」ではなくて、「一般的に言ところの人気がないモノ」こそが「マニアック」であるということに成りますから、人気のある所には「マニアックな人気」は無く、人気のない所に「マニアックな人気」があるということに成ってしまうわけです。
そして、何が言いたいかと言うと、この「マニア」と「ポピュラー」の逆転を元に戻した方がイイような気がするわけです。
やっぱり「現在形のモノ」が「一般的に人気のあるモノ」という形に成っていたほうが自然だと思うわけですね。
「現在形のモノ」が「マニアックなモノ」であることに問題があるというよりも、その「マニアックの不透明感」が問題なんだと思います。
この逆転現象を元に戻すには、「最先端の美術」をやっている人が「専門知識」や「マニア性」は持たないが「美術を鑑賞しようという意識」はあるというタイプの鑑賞者(要するに一般的な鑑賞者と言うことですね)に対して、「わかりやすい芸術」を提供していこうという方向性が必要に成るんだと思います。
つまり、「不透明感」を払拭して「透明な美術」を提供する方向を模索していけば、もう少し、良くなるような気がするわけです。
これは、どちらかと言うと、「鑑賞者側の視点」を重視した考えですが、実を言うと、「創作者側」に立った場合でも、やはり「透明な美術」を目指すことは有効なんじゃないかと思います。
あまりにも『先へ先へ!』と行き過ぎて、「創作者側」も何をやっていいのかわからなく成って来ていると思うんですよね。
ハッキリ言って、現在「ハッキリと目標が見えている人」ってあまりいないと思いますね。
超一流の創作者から、超無名の創作者まで、実際の所『ヤミクモにやってる』っていう部分はあるんじゃないかと思います。
そういう「不透明感」を取り除くことが出来たら、一番”ラク”に成るのは、意外と「創作者」の方なのかも知れませんね。
だったら、「透明な美術」を目指しましょうよと。
そういう風に思ったりもするわけです。
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