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「権利」



「権利」と言うと、「法」で規定されたモノと言うことに成っているわけですが、そういう「法律」で決まっている「権利」ではなく、もっと、純粋に自然に存在する「権利」ってあるもんなんでしょうかねぇ?


まぁ、例えばの話、『「人間」には「生きる権利」があるんでしょうか?』っていうようなことですね。

はたして、本当に「生きる権利」があって生きているんでしょうか?
実は、ただ単に生きているだけなんじゃないか?
それを、自己肯定するために、そこに「権利がある」と言っているだけなんじゃないか?

そんな感じで、「権利」について考えます。


だいたい「権利」なんてものが果たして本当にあるんでしょうか?
「法律抜きに考えて」っていうことですね。


「法」で規定されている「権利」以前の段階で、「権利」って言うモノがあるのかどうかが、かなり怪しいと思うわけです。


実際は「権利」なんてものは存在しないんじゃないか?っていう気もするわけです。


動物にしろ、人間にしろ「生きる権利」や「〇〇する権利」があってやってることなんでしょうか?
それとも、何の「権利」もなく、傍若無人にいろんなことをやってるんでしょうか?


どっちかっていうと「傍若無人説」の方が有力なんじゃないでしょうか?


要するに、「権利」っていうのは、人間が勝手に自分の行いを正当化するために、『権利があるからやってるってことにしとこう』みたいなとこがあるような気がするわけです。

こんな風に言うと、『じゃあ、好き勝手にやったっていいんだ』ということに成りそうなんですけど、もちろん、そういうわけではなくて、というか、むしろそれとは反対で、『だからこそ、好き勝手にやってると収拾がつかなくなるんじゃないの?』ということが言いたいわけなのです。


つまり、もともと「権利」なんてものはなくて、みんな自分勝手に「傍若無人」をやっていても、なんとなくバランスが取れているのは、
そこに「自然の摂理」が働いているからだと思うわけです。


でも、「人間」と言う動物は、その「自然の摂理」からやや外れてしまっているわけです。

 ※これを言うと、『そういうのは、人間のおごりだ!』と言う人が居ますが、それを
  言っていることで、「人間の暴走」が止められるとは思えませんし、むしろ、それ
  を助長しているようにすら思えるので、そういう形だけの「謙虚さ」には意味がな
  いと思いますね。
  客観的に見て、やはり「人間」は、一般的に考えるところの「自然の摂理」からは
  外れてきてしまっていると思います。

だから、「人間」がその「傍若無人」をやってしまうと、「傍若無人な傍若無人」になってしまうということですね。
「権利」っていうのはある意味で、「そういう人間の傍若無人な傍若無人」を規制するためのものなんじゃないかと思うわけです。


「権利」と言うと、「~してもイイ」と言うような気がしますが、実は、誰かにとって「~してもイイ」と言うことは、その相手にとっては「~されても文句が言えない」と言うことです。
ということは、全ての人間に同じ「権利」が与えられた場合、一方的な「傍若無人」が出来にくく成るということに成るわけです。


私は、現在社会が最もやるべきことは「人権を確立すること」だと思いますが、それは、どちらかと言うと「人間の傍若無人な傍若無人」を規制する必要があるからで、必ずしも「弱者擁護」と言うことだけでもないんだと思います。

要するに「弱者を擁護すること」も含めて、人間が「ムチャな傍若無人」を止めた方が、なんとなく全体として上手くいくんじゃないだろうかということなんだと思います。

まぁ、「普通の傍若無人」程度に収めるということですから、そんなに立派なことでも無いですけどね。


それは、「人間の社会」の話としても、もっと大きな「自然界全体」の話としても同じでしょうね。


そういう意味で、「権利」っていう、ものは、「人間」が勝手に作って、勝手に自己を正当化して、勝手に自己を規制するためのものであって、世の中の「根源的な法則」として存在するような大それたものではないけれど、なぜかあった方が少しマシで、無いと絶対にうまくいかなくなるというようなもの、つまり、人間にとってはそう言うモノなんじゃないのかなと。


そんなことを思いつきました。




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