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本来の「教育」とは「人間に成る方法を教えること」なんじゃないか?と思います



現在「教育」の場で教えられることは、ほとんど「学問」が主流となっているわけですけど、実は、本来の「教育」とは「人間としての在り方」を教えるものなんじゃないかと思うわけです。

つまり、「人間に成る方法」を教え込むのが「教育」の役割なんじゃないかと思うわけです。

 ※これは、必ずしも「道徳」とか「文化」とかいうことではなく、もっとダイレクトに
  「人間に成る方法」を教えるという話です。
  つまり、「人間」とはどういうもので、どういうことをすれば「人間と言えるもの」
  に成れるのか?ということを教えるのが「教育」の本来の目的ではないか?
  と言うことですね。

 ※ここで、「人間に成る方法」と言っているのは、「完全な人間になること」を目標
  としたことではありません。
  あくまで、「人間未満の人間」を「最低線の人間」と設定して、その「最低線の人
  間に成る方法」を教えるのが、本来の教育の在り方なんじゃないかという話に成
  ります。


これを言うと怒る人も居るのかも知れませんけど、ハッキリ言って、「学問」なんて、みんなに教える必要はないような気がします。
まして、「芸術」や「音楽」や「体育」を無理にやらせたってロクなことはありません。

でも、みんなに絶対に教える必要があることが一つだけあるとしたら、「人間に成る方法」だと思いますね。


もちろん、多くの人が「芸術」や「音楽」にかかわりを持って行った方がイイとは思いますが(「学問」についても同じだと思います)、それは、必要最低限でもいいような気がします。

「人間であるために必用最低限の芸術や音楽」はそんなに多くはないと思います。

要するに、「芸術」や「音楽」が、「一人一人の人間」に興味が有るか無いかということとは関係なく、「人間全般」にとって必要なモノだということがわかっていればそれでいいんだと思います。

つまり、興味がない人も「芸術」や「音楽」を踏みにじってはいけないということですね。
そういう関わり方だけでも十分だと思います。

 ※今の「教育の場」においては、「芸術」や「音楽」を強制的にやらせている反面、
  「芸術の本質」や「音楽の本質的な意味」に関わりを持たずに育つ人がたくさ
  んいるという状態に成ってしまっていると思います。

これは、「学問」についても同じで、全ての人に現在のような「小難しい学問」を教える必要があるとは到底思えないわけです。

まして、現在の教育においては、一番肝心な「人間に成ること」をまったく教えていませんから、『そんなことばっかり教えている場合じゃないんじゃないの?』と思ってしまうわけなのです。


「学問」や「芸術」や「音楽」や「体育」などをどれほど教える必要があるのかはともかくとしても、少なくとも言えることは、「人間に成ること」が最優先で教えられるべきだということだと思います。

「人間に成ること」が一通り「学習」されてから、他のことをやればいいんじゃないかと思いますね。


とにかく、「教育」において、如何なるものにも優先するのが「人間に成ること」だと思うんですけど、その辺どうなんでしょうね。
でも、最優先どころか、「教育」においてまったくと言っていいほど無視されているのが「人間について学ぶこと」だと思います。


ハッキリ言って、そこが抜けているから「教育改革」みたいなことを、いくらやっても成果が上がらないんだと思いますねぇ。


「イジメ」も無く成る気配すらないし、「学級崩壊」なんて言うのも進んでいることはあっても良くなったという感じはしませんね。
それから、「生徒」以前に「先生」の方からして「人間に成ること」を学んでいない人がけっこういたりします。

そんな状況で、「教育改革」出来るわけないと思うんですよねぇ。


でも、逆に、他のことはホッタラカシでも「人間に成ること」だけを重点的に教えれば、他のことは後からついてくるんじゃないかと思います。


なんと言っても一番大事なのは「自分と他人を理解する技術」を身に着けることだと思います。
それと、「自分の信念を持つこと」ですかね。

その二つくらいでも、かなりいいような気がします。

「人間に成る方法」は他にもいろいろあると思いますが、取り敢えず、「自分」と「他人」を理解しようという姿勢だけでも持っていれば、それだけでも、「人間の条件」をかなり満たしていると言えるような気がするわけです。

そして、更に「自分の信念」を持っていれば、周りに振り回されて意見が変わってしまったり、極端に矛盾したことを平気で言ったりということも少なく成ると思うわけです。


そんなことで、そこそこ『人間だなぁ』と思うわけですが、こんな事、今誰かが教えているでしょうか?
「教育」だけでなく、「親」も「大人」も、誰一人教えていませんよね。

その結果「逸脱した人」が増えているように感じるのは私だけなんでしょうか?

『そういうことは親が教えるべきことだろう』と言うのは、現時点では、もはや空論と言ってもいいと思いますね。
現在の「親」は「教育機関」としての機能を失っていると思います。
(「お受験」や「親の見栄のための教育」は別でしょうが)
『忙しくてそんな暇はない!』と言うのが実情じゃないでしょうか?

あとは、『どう教えていいのかわからない』ということもあると思います。
自分も教わっていないわけですから、無理もないと思います。


それで、この「人間に成ること」と言う「教育の最も重要な部分」が抜け落ちてしまったんだと思います。


とにかく、「人間としての最低限度」がほとんど守られていないと言う気がする今日この頃なので(自分だって、守れないことはよくあると思いますし)、そこの所を何とかして欲しいもんだなと思うわけです。


『今日この頃』と言うよりも、実際には昔から続いていることなんだと思います。

本当のことを言うと、「人間」って、まだ本当の意味で「人間」に届いていないような気がするわけです。
つまり、歴史上まだ「人間が人間であった時代や国」はないということです。
要するに、「人間」っていう水準が意外と高いんですね。

だから、「人間としての最低限」が出来る人が少ないわけです。
そうなると、やっぱり教えないとならないということなんじゃないの?という風に思うわけです。

この部分を成り立たせないと、いくら時間や手間をかけても、他の「教育」は全部無駄になってしまう可能性すらあるわけですから、
ここにもう少し力を入れて頂きたいもんだなと。


そんな風に思いますね。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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