「芸術」は意外と新しいジャンルなのかも知れない
「芸術」って、実は、けっこう新しいジャンルなんじゃないのかな?と思うことがあるわけです。
要するに、「現代美術」についてなんですけど、それ以前の「芸術」とは違う、別のジャンルなんじゃないかと思うわけですね。
確かに、古典からひとつながりの流れで「現代美術」に至っているわけですから、それを同じジャンルとして考えるのが普通なんでしょうが、それにしても、あまりにも短期間のうちに方向性が180度変わってしまったようなところもあるし、美術史の中でのつながりはあっても、やっていることとしてはほとんどつながっていないとも言えるわけで、それを同じジャンルとして捉えていることの方にやや無理があるように思うわけですね。
そもそも、「現代美術」と言っていますが、もう100年くらい前からのモノをそう呼んでいるわけで、『チットモ現代じゃない!』っていう感じもあるわけですし、さらには、『いったい、いつまで「現代」で通すんですか?』っていうこともあるわけです。
これは、「現代美術」と呼ばれているような「今の芸術」が、「それまでの芸術」とはハッキリと違うジャンルであったことからきているんだと思うわけです。
つまり、実は違うジャンルであったのに、無理に同じ「芸術」と言うジャンルの中で捉えようとしたために、取り敢えず「現代」と呼んでみたけれど、実は、それは「現代の芸術」ではなくて、「それまでの芸術」ではない「新しいジャンル」だったということなんじゃないかと思うのです。
だから、「そのジャンル」を続けている限り、「現代」から抜け出すことが出来なくなってしまったと言うことなんじゃないでしょうか?
その「新しいジャンル」に名前が与えられなかったために、「芸術」がとても解りにくいモノに成っていることは間違いないと思います。
まったく方向性の違うモノを同じモノとして説明しようとしても無理ですから、どうしても、『そういうことは頭で考えてもわからないんだ!』とか、『どうせわからないヤツにはわかりゃしないんだ!』とかという強引な話になってしまうんだと思います。
ただ、もう100年も経ってしまっていますし、今さら、その「もう新しくはなく成ってしまった新しいジャンル」に、新しい名前を与えることにも無理が出てきているわけです。
おそらく、いまさらなんと名付けてもシックリは来ないでしょうね。
だったら、「今の芸術」をそのまま「芸術」として、「古い方の芸術」を「昔の芸術」つまり「かつては芸術だったモノ」と言う捉え方にしてしまった方が、まだ、少しはマシなんじゃないかと思うわけです。
こんなことを言うと、「古典芸術」を愛している人からは叱られるし、「現代美術」を愛している人からも、『美術の歴史を理解してもいないヤツがナニを言うか!』と言われるんでしょうが、『それじゃあ、いつまで「現代」を続けるんですか?』とお聞きしたいわけですね。
「現代美術」~「現代アート」~「モダン・アート」~「コンテンポラリー・アート」と言う風に、言葉面だけを少しづつ変えていっても、けっきょく全部「現代」であることに変わりはありません。
「現代」にハマリ込んで抜けられなくなっているということを認めないと、いつまでたっても「未来」は来ないと思いますね。
それどころか「現在」すら来ていないっていう気がします。
私は、個人的に「芸術の20世紀」を一度断ち切って、新たに出直すという考え方をしていますが、
※この「新しいジャンル」が出発した時点にある「芸術の20世紀」において、舵を
切り間違えたところが多々あったと思いますし、そのことが、その後なし崩し的
に、そして不適切に、修正されてきてしまったことは、見過ごされてはいけない
と思っていますので、私の場合はそれを一旦「喪失」するという考え方をしとて
います。
どういうやり方を取るかは、個人的な問題だ思いますので、ここでは置いておくとして、少なくとも、「昔の芸術」と「今の芸術」は切り離して考えた方がイイような気がしますね。
それでないと、「いま何をすればイイのか」は見えて来ないと思います。
いえ、もちろんて、そう考えたからって、それが見えて来るっていうことじゃないですよ。
『私にはそれが見えてますよ』っていうことを言ってるんじゃなくて、『魚が居ない所で釣りやっても釣れませんよね』っていうことを言ってるわけです。
『私には簡単に釣れますよ』と言っているわけではありません。
「昔の芸術」と「今の芸術」が違うジャンルだということと、「今の芸術」がスタートした時点で、それが「新しいジャンル」だということが理解されないままに、、「テキトーな方向性」を与えられてしまったという重大なエラーがあったことを認めていかないと、結果的には、意にそぐわない形で「流行を追わされること」にしかならないと思いますね。
『「芸術」って、まだ歴史の浅いジャンルだったみたいだよ』
『いや、「芸術」は、まだ始まっていないのかも知れないよ』
そんな風に思うわけですね。
『それなのに、やや終わりかけてきてます』
そんな風に思いたくはないですけど。
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