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「艶ムラ」も使いようかな?



油絵の「艶ムラ」を嫌う人はけっこう多いと思いますけど、それでいて、ほとんど気にしないという人も結構いたりしますね。
(まぁ、絵に”チカラ”があると、あまり気に成らないと思いますけど)

でも、「艶ムラ」を積極的に使っている人も中には居るんじゃないかと思うわけです。
まぁ、要するに、自分が使っているんですけどね。

 ※正確に言うと、積極的に使っているのは「艶ムラ」と言うよりも「発色のムラ」です。
  「強い発色の部分」と「深い発色の部分」を作っているということですね。

油絵具はいろいろな種類の油や樹脂を使いますから、どうしても「艶ムラ」が出てしまうことがあるわけです。
そういう「艶ムラ」は確かに作品を見にくくしますし、同じ色が違う色に見えてしまったりすることもありますから、けっこう厄介な場合が多いわけです。

でも、ヤリヨウによっては、この「艶ムラ」は有効な技法に成る場合があると思っているわけです。


基本的に、不適切な油の調合によって出来てしまった「艶ムラ」は、あまり美しくないことが多いです。
でも、「艶のある部分」と「艶のない部分」を意識して作った場合は、その「艶のチガイ」が効果的になる場合があります。


油絵具の色が好きな人の中には、下に置かれた色が薄い上塗りの層を通して湧き上がってくるような、そういう深みのある色合いが『たまらなく好き!』っていう人も多いと思います。

だから、艶を揃えてそういう深みのある色合いを画面全体に醸しだしたいと思うわけですね。

でも、そこをおさえて、画面の中に出来るだけ油で溶いていない艶のない状態の絵具を最後に使った部分を作るわけです。

確かに、薄く伸ばした絵具を上塗りした時の油絵具の色は美しいと思いますし、それは、ほかの絵具では出せないニュアンスだと思います。
でも、発色の強さと言うことで言うと、やはりダイレクトに顔料の色彩が飛び込んできた時が、一番強く成ると思うわけです。

一見無駄に見えるかもしれませんが、同じ色を(微妙に変化させたりしながら)何度も塗り重ねていくと、顔料のカタマリがとても強く発色してきて、その部分がとても力強く感じられるわけです。

 ※これは、私が個人的に感じていることなんですけど、同じ色を何度も塗り重
  ねていくと、強い発色が出て来ると思っています。
  (数回と言うより十数回~数十回ですね)
  おそらく、下に置いた絵の具が上に乗せた絵の具の油を吸収して、乾いた
  ときに発色の妨げに成って来るバインダーとしての油が吸い取られて、画
  面の表層ではかなり少なく成るんだと思っています。

たぶん、日本画の「岩絵の具」のような発色の仕方に近く成って来るんだと思います。

 ※本当の意味で、「油絵具」と比較されるべきなのは「アクリル絵の具」では
  なく、実は「岩絵の具」だと思います。「岩絵の具」の発色を身近に知る機
  会に恵まれている日本人は、そのことをもう少し意識して行ってもいいよ
  うな気がします。

そして、そういう「強い色」の部分と、もともと油絵具の特徴である「深い色」の部分を組み合わせていくと、表現の幅が広がるんじゃなかと思っているわけなのです。


アクリル絵の具に対して、『油絵具は素晴らしいんだ』ということを語るときに、ついつい、『この色の深みが~』とか、『アクリルで描いた絵はどことなく~』というような曖昧な表現を使ってしまうことがありますが、実際は、それらの『~』の部分のほとんどが、こういった『艶ムラ(発色ムラ)』に由来していると思うわけです。

ということは、逆に考えると、そこを使わないならば、『アクリルでいいじゃないか?』ということなわけで、いろいろな意味で利便性に勝るアクリル絵の具の方が優れているという話になってしまうわけです。

実際問題として、『艶ムラ』や『発色のムラ』を使う必要性を感じない場合は、アクリル絵の具でいいんじゃないかと思います。


「艶ムラ」や「発色のムラ」を使う場合にこそ油絵具を使う必要性が高く成るんだということですね。


でも、それを曖昧な表現で説明してしまうから『なんとなくカッコイイから油絵やってるんですけど、ダメですか?』的な人や、『いいじゃんアクリルで、おんなじようなもんでしょ?油絵と』的な人に分かれてしまって、『なんで油絵具なのか?』『どうしてアクリルでいいのか?』という部分が抜けてしまうわけです。

その結果、「本来は油絵向きの人」が、なんとなく便利だからという理由でアクリルで描いていたり、「アクリル向きの人」が意味もなく油絵を描いていたりすることがあると思うわけです。


そんなわけで、「油絵具」と「アクリル絵の具」のチガイとは「艶のチガイ」であり、「発色の幅のチガイ」であると。
そう言い切ってしまおうと思うわけです。

まぁ、そういう感じで『艶ムラも使いよう』なんじゃないのかなと。


そんな風に思っているわけです。

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追記

ここで「艶ムラ」と言っている中には、「絵の具の伸び具合」も含まれていると思います。

「油絵具」の伸びを良くするには、乾性油を多く使うことになりますから、結果的に、「艶」も出ることになります。
「アクリル絵の具」と「油絵具』のチガイは、この「絵の具の伸び」によるところも大きいと思うわけです。
(それも含めて、ここでは「艶」と言っています)

それから、「艶」には、「絵の具の表面の艶」と「絵の具の色としての艶」があると思っています。
たとえば、「アクリル絵の具」であっても、「グロス・メディウム」などを混ぜると「絵の具の表面の艶」は出ますが、必ずしも「艶のある色」に成るとは限りません。
つまり、見た人が「艶」を感じるのは、どちらかと言うと「絵の具の色としての艶」の方である場合が多いわけです。

そして、そういう「艶を感じる色」を出すには、「絵の具の伸び具合」によるところも大きくなるわけですね。

「油絵具」で描かれた絵であっても、年月が経てば、「艶」はなくなっていきますし、当然「艶ムラ」も薄れていくわけですが、「艶を感じる色」の「感じ」の部分については、それほど変わりませんし、それは「艶ムラ」についても同じようなことがいえると思います。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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