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「結果・〇〇主義」という主義



今の世の中のことを見ていると、『本末転倒』というか、『それ、オカシイでしょ!』というか、『ちょっと待ってください!!』というか、とにかく、『なんでそうなるの!?』ということが非常に多いような気がするわけです。


たとえば、現在の社会は「民主主義」・「自由主義」っていうことに成っているわけですけど、そこのところを追求していけばいくほど、「自由」じゃなく成って行ったり、「非民主的」になってしまったり、ということがよくあると思うわけですね。


こういうのは、何も社会的な「主義」に限ったことでも無いと思います。

たとえば、「ポジティブ」については、このブログでもよく書いているんですが、現在、「ポジティブ」は、それを支持している人たちにとっては、一種の「主義」のようなものに成っていて、その「ポジティブ主義」が、非常に「ネガティブ」だったりすることがあるわけです。

要するに、「悪いもの」まで無理に「ポジティブ」に捉えようとするために、その反動で、どこかが「極端なネガティブ」になってしまうということでしょう。

しかも、「悪いもの」に限って意地になって「肯定=ポジティブ化」しようとしますから、結果的に、極端に「ネガティブな扱い」を受けるのは、むしろ「良いもの」であったりするということが出てきてしまうというわけです。

まさに[本末転倒]ですね。
こういうの、最近、非常に多いと思います。


こういうことが起きてしまうのは、「自由主義」や「民主主義」や「ポジティブ主義(?)」と言うような、それぞれの「主義」の問題ではなくて、実は、「主義」と言うモノ自体の問題なんじゃないか?と思うわけです。

つまり、どんな「思想」でも「考え方」でも、それを「主義」にしてしまうと、それを人間が実践しているうちに、いつの間にか、こういう「本末転倒」が起きてしまうというような、そういう根本的な性質が「主義」にはあるんじゃないかと思うわけです。


どんなに立派な「考え方」であっても、実践するのは「人間」ですから、どうしたって不完全なわけです。
その「考え方」を、間違った解釈で捉える人も居るでしょうし、裏側から抜け穴を探し出して、自分の都合のいいように利用してしまう人だっているでしょうから、「その考え方」の「完璧さ」や「立派さ」は、ほとんどの場合役に立たなくなってしまうわけです。

ところが、それが、その時点で「主義」という形をとってしまっていると、形だけでも、その「主義」に基づいている限り、それらの「間違った解釈」や「ウラ利用法」でさえも否定されにくくなってしまうわけです。

その結果として「本末転倒」が多発してくるんだと思います。


だから、そういうことを防ぐためには、「結果・〇〇主義」と言う「主義」を前提にして行った方がイイように思うわけです。

つまり、どんな「考え方」でも、それを「主義」と言うような形で打ち立てる時には、その前に、それらの「考え方」が「結果的に成就していくこと」を前提として、はじめて、そこに「主義」としての価値を認めようというようなことですね。

それを「主義の前の主義」として設定していった方がいいんじゃないかなと。
(言ってみれば、「法律」と「憲法」のような関係ですね)


そんな風に思います。




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