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「いま」って、本当は「すごくラクな時代」なんでは?



このブログでも何度か言っていることなんですけど、今の時代っていうのは、本当は「すごくラクな時代」なんじゃないかなと思うわけなのです。


どう考えたって、100年ぐらい前と比べたら「生産力」や「効率」がトンデモナク違うわけで、もっともっと”ラクなハズ”だと思うわけですねぇ。

産業革命が起きてからだいぶたった後の「100年前」と比べてもですよ。
産業革命以前との比較だったら、さらに大きな差があるんでしょうが、そうなると、もう、差が大きすぎて、どのぐらいの差なのかがわからなくなるぐらいに違うと思います。


はたして、その差に見合うぐらいに”ラク”になってますか?
明らかに、それに見合うほどは”ラク”に成ってませんよねぇ。

それどころか、やや”ツラク”成っている人すらいたりします。
この数十倍~数百倍、いや、それどころか数千倍?っていうくらいの『圧倒的な「差」は、いったい、どこへ消えてしまうんだろうか?』


これは、おそらく「世界経済」という「ゲーム」によって、起きていることなんだと思うわけです。

その「ゲーム」が「椅子取りゲーム」なんですねぇ。
つまり、少ない椅子を、それよりも多い人数で取り合うというタイプの「ゲーム」をやっているわけです。
(要するに、限られた資源や食料を取り合っているわけですね)


ところが、いつの間にか「人数」よりも「椅子の数」の方が多く成っていたんですねぇ。
それでも、「世界経済」が「椅子取りゲーム」であることに変わりはありませんから、各国が「余っている椅子」を”キープ”するようになってしまっているわけです。


その椅子には誰も座りません。

使われませんから、価値が消えてしまうんですねぇ。
これが「消えてしまう差」に成っているわけです。

実際には、「椅子」が余ってしまった時点、つまり「生産」が「消費」を上回った時点で、「椅子取りゲーム」は成立しなくなっているわけですが、人間の進化の歴史の中で、「食うのに困らない時代」と言うのが初めてのことだったので、また、そういう「時代」が、あまりにも唐突に現れてきてしまったので、人間たちが、まったく対応できなかったんだと思います。

 ※これは、世界中から飢餓が無く成ったということではなく、いまだに飢餓が、
  存在するのは、「食料」が足りないからではなく、「食料」がきわめて不均衡
  に分配されていなるからで、「椅子取りゲーム」によって、その不均衡が生
  み出されていということです。

それで、「椅子」は余っているのに「椅子取りゲーム」だけは続けるという「異常な事態」が発生しているわけです。
しかも、その「余った椅子」は、使われずに価値が消えていってしまいますから、「余っていること」にも気が付かれずに、今もまだ「椅子」が足りないと思われていたりするわけですね。

それで、”ラクなハズ”なのに、みんな、いつも”カツカツ”しているというわけです。


おそらく、「椅子」が余りはじめたのは「第二次大戦前後くらいからだと思います。
(実際には、もっと前からかも知れませんが)
だから、そのあたりから、「世界のどこか」に「バブル経済」が発生するようになってきたんだと思うわけです。
(「バブル」という言葉が使われるようになったのは、かなり後からだと思いますが)

つまり、「誰も座らない椅子」=「消えてしまう価値の差」こそが、「バブル経済」のまさに「泡」に成るわけですね。


もう、そろそろ、「椅子が余っていること」に気が付いてもいいんじゃないかと思いますが、この状況が都合イイ人が居るんですねぇ。

その人たちが、みんなに「椅子取りゲーム」を続けさせて、そこで余った椅子の一部が自分の所に集まってくるような仕組みを作っているんだと思います。


世界的な規模で、とてつもない量の「椅子」が余っていますから、その中のほんの一部分でも、かなりの富に成るわけですね。
他の大半が捨てられて消えていってしまって、世界中の人が”カツカツ”していても、その人たちはあまり気にしないみたいですね。


と言っても、そんなズル賢い人たちばかりではなくて、「動物的な生存本能」に従って行動している人がほとんどなんだと思います。
(まぁ、そういうのが利用されてしまうわけですけど)

もちろん自分も含めての話ですけど、人間は「ゲーム」を提示されると、反射的に「競争心」や「闘争心」を駆り立てられて、「椅子」が余っていても、その「余っている椅子」を奪い合うようになりますし、「一つの椅子」を勝ち取った者は、必ず「二つ目の椅子」を取りに行くわけです。

これは、もう、『人間がそういう風にできている』と言うのに近いことなんでしょう。
だから、そう簡単にやめられないと思います。


つまり、「椅子取りゲーム」自体をやめない限り、この状況からは抜け出せないということです。

「ゲームじゃない」と言うことに成れば、反射的に「競争」や「闘争」に向かう人は少ないでしょうから。


まず、「生産が余剰を生み出すようになってきているという情報」を世界中にひろめて、「ゲーム」が終わったことを告げる必要があるわけです。
(同じことが軍事的なパワー・ゲームにも言えると思います)
まぁ、終戦の時の天皇陛下の「人間宣言」みたいなものでしょうか?

これは、インター・ネットが普及した現在ではそう難しいことでも無いはずです。


そうすれば、「まだゲームをやっている人」を見かけた人は、きっと、『アハハ、まだやってるんですか?オノダさん(ヨコイさんでも可)』などと言うでしょうから、やっている人も、やる気が失せると言うものでしょう。
(例えです。オノダさんもヨコイさんも、嫌いなわけじゃありません。念のため)

そうなったら、どうなるんでしょうね?
あくまで”もしも”ですけどね。


たぶん、8時間労働なんて有り得ないと思いますよ。
そんなに働いたら、また余っちゃいますから。
それに、週休4日・5日も当たり前なんてことに成るでしょうね。
それどころか「月労働5日」なんていうことだってあり得なくもないかもしれませんよ。
(かえって、疲れたりして?)

そうなれば、当然「消費」も伸びますから、景気も良くなりますし、それでも”チョット多く”働けばいいわけですから「ノープロブレム」なわけです。
(それぐらいの方が疲れなかったりして?)


なんて言う都合のいい話がどこかにないもんでしょうか?

『ないです!!』


『でも、空想って楽しい!』

そんな話でした。


こんな記事を最後まで読んだアンタがワルイ! 

♪チャン チャン♪
(♪ホワッ ホワッ ホワッ ホワワワワ~ン♪でも可)

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追記

最後の『なんて言う都合のいい話がどこかにないもんでしょうか?』
以下の部分は、もちろん冗談です。

こういう話が、あまりにも通じないという現実があるので、「オフザケ」に持っていくしかなくなってしまいます。
本当を言えば、それが、一番悲しいことなのかもしれません。

本当は、「今」は、これぐらいに「余っている時代」だと思っています。
でも、余っているモノが不均衡に振り分けられていることほど、そこにいる人間にとって不幸なことはないと思います。

それは、「富める者」にも「貧しき者」にも、同じように言えることだと思います。





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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