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「抽象の領域」は「幅」ではなく「深さ」



前の記事で「抽象」と言うのは「濃縮すること」ではないか?というようなことを書いたんですけど、ここでは、その「濃縮」と言う作業が行われる「領域」について考えてみます。


まず、「抽象」という概念が現れてきた時期の話から始めます。

これは、私がリアル・タイムで体験してきたことでもありませんし、まして、自分が生まれるよりもかなり前の出来事ですから、あくまで、一般的に語られている美術史の流れから推測するとと言う話になるんですが、もともと、現在言われているところの「抽象」という表現形態が現れてきたときには、そこには「濃縮」と言う方向性もあったと思いますし、必ずしも、「非具象」=「抽象」と言うことでも無かったんだと思うわけです。

 ※「抽象表現」は、かなり昔からあったと思いますが、それが「現在言われ
  ているところの抽象表現」であったと、私には思えません。
  それは、幾何学的な「図形」であったり、あるいは、「装飾としての模様」
  であり、同じ「表現」の中でも「創作者の表現」というよりは「意匠として
  のデザイン性における表現」として存在していたように思います。
  あくまで、その「意匠としての表現」を利用して、「創作者の自己表現」と
  して、独立した形を持つようになった、また、そういう「新しい形態の表現」
  として認識されるように成ったのは、「20世紀初頭」のことだと思います。


ところが、ですね。

これなんかも、完全に憶測の域を出ない話ですから、それをお断りして言うことなんですけど、ムズカシカッタんだと思うんですね、「抽象」が。
それで、やっているうちに、ワケワカンナク成って来ちゃって、一所懸命になって、やればやるほど「オカシナモノ」が出来て来るし、
それでも、『これが新しい時代の芸術なんだ』っていう確信だけはあるから、捨てることも、諦めることもできずに、始めてしまった手前引っ込みがつかなくて、『いや、これでいいんだ!間違ってなんかいないんだ!誰が何と言おうが、これが新しい芸術に違いないんだ!』と自分に言い聞かせてガンバッテいると、『アレ?後ろからついてくる人が居るの??』

つまり、グループを形成するようになっていったんですね。

これが「芸術の20世紀」において、たくさん出現した「~イズム」の始まりだったんじゃないかと思うわけです。


そして、もう一つクッツイテきたのがマスコミです。
(「芸術の20世紀」における不幸の一つは、「芸術」がマスコミにリンクしてしまったことだと思います)


まず、「~イズム」が形成されます。
すると、それまで「オカシナモノ」だったものが、「それらしいモノ」のような気がしてきます。
専門家が何人も集まって、その方向性で間違いないと言い合っていくわけですから、一人でやっている時よりも、数段、心強かったでしょうし、また、そういう形で、グループ内でお互いに依存し合っていきますから、抜け出せなくなってしまったということもあったのかもしれません。


そういう新進気鋭の芸術家グループというキーワードに、マスコミが反応してきたというのは当然の成り行きだったでしょう。
そうなると、あとは、もうジェット・コースターです。

『あのグループがスゴイ』となると、そっちに向かって『ダーッ!』となるし、『いやいや、もうそっちは古いんだよ!今度はこっちだ』となれば、また、そっちに向かって『ダーッ!』と、そんなことを繰り返しているうちに、最初の目的だった「濃縮」なんて、『ナニソレ!?そんなのあったっけ?』という感じだったんじゃないでしょうか?

そこで、『抽象とは?』の問いに対する答えとして表れてきたのが、「非具象」と言う言葉だったんでしょう。


それから、もう一つ、「抽象」の目的として、「表現の領域を広げること」ということが、あげられるようになっていったように思うわけです。


つまり、「幅」ですね。
「表現の幅」を広げようとしたんですね。

「幅を広げようとしたことは悪いことだとは思いませんが、マスコミとリンクしたものが「幅」を追求すると、結果的には「限りなく薄く広いモノ」が生みだされていってしまうということはあると思うわけです。

要するに「芸術」と「マスコミ」は相性が悪いんだと思います。
尚且つ、「抽象」と「幅」も、必ずしも良い組み合わせではなかったんじゃないかと思うわけです。

「抽象」は「深さ」と組み合わせて考える方が有効なんじゃないかと思うわけですねぇ。
「抽象」は不定形な部分がありますから、「幅」を広げようとすると、どうしても「薄めること」に成りやすいわけです。

だから、「抽象芸術」は「濃縮された表現」を、深い領域に落としていくのがいい組み合わせだと思うのです。


「深くて濃い表現」と言うのは、おそらく最もマスコミに乗りにくいものですから、そういう表現を追求していくことでマスコミの影響からも逃れられるわけですね。


いま、このマスコミが支配する世の中で、「芸術」がそれをやらなきゃ誰がやるのか?と。


そんな風に思うわけなのです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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