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「言葉のサイズ」を超えるモノが表現したいモノ



「芸術」のような表現形態があるのは、「言葉では表せないモノ」があるからなんだと思うわけです。
「言葉」では表せないから、「言葉」よりも曖昧で不確実な表現を使わなければならなくなるんだと思います。


要するに、そう言うモノは、「言葉のサイズ」を超えているんだと思うわけです。
だから、当然「言葉」では表しきれないということなんでしょうね。


本当は、「言葉」で表せるなら、その方がイイような気もします。
少なくとも、その方がワカリヤスイのは確かでしょう。

でも、「言葉のサイズ」を超えてしまっているので、どうしようもないということです。
それで、どうしても、「言葉」よりも曖昧で不確実な表現方法に頼らなくてはならなくなるんだと思います。


「芸術」を「曖昧」とか「不確実」なんて言うと怒る人も居るでしょうが、実を言えば、そういう「曖昧さ」や「不確実性」こそが「芸術」の特徴でもあるわけで、そういった「ゆらぎ」の部分が「芸術」に深みを与えているとも言えるわけです。


「言葉のサイズを超えるモノ」と言うのは、つまり、「人間の論理思考のサイズも超えているモノ」でもありますから、所詮、「人間サイズ」の人間が、そういう「自分より大きいサイズのモノ」を表現するには、「ゆらぎ」みたいな「曖昧」で「不確実」なものが必要なんだと思うわけです。

そういう部分が、現在の「芸術の中心」に近い所にあるモノなんじゃないかと思うんですね。


いま、「芸術」に必要なのは、「言葉のサイズを超えるモノを現そうとすること」であり、それと同じモノを、さらに「言葉で把握しようとすること」なんだと思うわけです。

つまり、その二つが、「芸術」と「哲学」と言うことですね。


そして、「芸術」には「哲学」が不可欠であって、「哲学」には「芸術」が不可欠なんだということでしょう。

そういう「芸術」と「哲学」が一体化したモノが見られたとして、その先に何があるのかはわかりませんが、その先にあるモノを見たいと思うわけですね。


だから、やっぱり「言葉のサイズを超えたモノ」を表現したいと思いますし、それを、さらに「言葉」でも把握したいと思うわけです。


出来るかどうか?なんて考える必要すらないと。
考えなくてもいいのは、そこだけかなと。


そんな風に思います。


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