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「人生のパターン」を崩した分が、その人の「進歩」なのかも



『「人生」って同じ「パターン」の繰り返しだよなぁ』と、つくづく思ったりする今日この頃なわけなのです。


「人生」も三分の一を過ぎて来ると(150まで生きる計算です)、『なんで人生には、おんなじ間違いを繰り返したり、抜け出したいのに抜け出せなくなるというパターンがあるんだろう?』と考えたりもするわけです。


まぁ、同じ人間がやってることですから、同じようなことを繰り返すっていうことなんでしょうね。
人間、そうそう変わらないわけですから、当たり前だと思います。


でも、そういう「パターン」を崩して、「違うパターン」に持っていけたら、そういうのを「進歩」って言ってもいいんじゃないかな?と思うわけです。

実は、「わるいパターン」から「いいパターン」に変えることが大事なんじゃなくて、「パターン」を変えるということ自体が重要なんじゃないかという気がするわけですね。


極端に言うと「いい」から「わるい」に変わった場合ですら、「同じパターン」にはまり込んで抜け出せない状態よりは、少し「マシ」な場合もあるんじゃないかと思います。


所詮、人間のやることなんてたかが知れていますから、「いい」と「わるい」の差なんて大したことないわけで、それよりも、「パターン」を崩したことの方が、大きいように思えるわけです。


「いい」か「わるい」かで言えば、「モノスゴクわるい」でなければ、その程度でいいような気がします。


だから、『こういうの実は嫌なんだけど、最近パターン化していてるよなぁ』と思った時には、ちょっと無理をしても「パターン」を崩すようにしています。

それでも、また「同じパターン」に戻ってしまうような場合はあきらめますけどね。
(ま、実際はほとんどそうなりますよね、残念ながら)


「居心地がいいパターン」の場合は変える必要ないと思います。
きっと、これも変えた方が「進歩」ではあるんでしょうが、そこまで「進歩」しなくてもいいのかなと思いますから、変えません。

『じゃあ、いつ変えるんだよ!』って思う人もいらっしゃるでしょうが、そのぐらい『人生はパターンでできているなぁ』と言う風に思うわけですよね。


でも、そうやって「居心地のいいパターン」が増えていって、あまりにも、居心地よ過ぎるようなら、そうなったときに考えます。

『たぶん、成りません!』


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