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「言葉」は「論理」に向いていない



「言葉」=「論理」と言ってもいいぐらいに、「論理」とは「言葉」によって構成されるものであるということに成っているわけですけど、本当に「言葉」って、「論理」に向いているんでしょうか?

私といたしましては『そうでもないんじゃないかなぁ?』と思っているわけです。


確かに、「論理」という言葉の意味からしても、「論理」とは「言葉」によって思考することだと言っていいと思います。
でも、だからと言って「言葉」が「論理」に向いているとは限らないと思うわけですね。


それを、もう少し詳しく言うと、『今の言葉は「論理」に対して最適化されていない』
という風に思っているわけなのです。


確かに、「論理」は「言葉」で構成するものだと思いますし、それ以外のものではないと思うわけです。
ですから、「言葉」よりも「論理」に向いているものが他にあるとは思いません。

しかし、「現在の言葉」というのは、必ずしも「論理向きの言葉」として作られたものではないと思うわけです。


もともと、「言葉」と言うモノが、どのように発展してきたかを考えればわかることですが、当然、それは初期の段階では「鳴き声」であったわけです。
ということは、初期の「言葉」は「感情表現」が中心であって、「論理」とは対極にある「感情」を現すために出来て来たものだということです。

そういう形で発達する過程で、「言葉」が「感情」とは少し違う意味を持つようになっていったというのが、人間の理論的な思考の始まりの段階だったんだろうなと想像するわけです。

要するに、「言葉」の意味が積み重ねられるようになったんですね。
というか、「言葉」が「積み重ねることができるもの」だということに、人間が気付いたという方がイイのかも知れません。


そういう過程を経ていく中で、「言葉」はかなり「論理向き」に成って来ていると思いますが、それでも、まだまだ「最適化」には至っていないように思うわけです。


一言で言えば、「とっても曖昧」なんですね。
「言葉」は。


これは「感情」や「感覚」などの情緒面を現すのには向いているでしょうが、「論理」には向いていないと思うんですよね。


ただ、それを徹頭徹尾「論理向き」にして行くと、「記号論理学」のようなものになってしまうんだと思います。
そういうのを「言葉」と言えるのか?となると、それも、やや違うかな?と思うわけです。
(というより、チンプンカンプンですけどね)


つまり、「言葉」は「論理向き」に最適化してしまうと、結果的に「言葉」からは離れて「記号化」するしかないような気がします。

「記号」も一種の言語だと思いますし、「言葉」も一種の「記号」だとは思いますが、「記号化された言葉」と言うのは「言葉」としての性質が薄く成るんだと思います。

まぁ、その分「論理向き」に成るんでしょうね。


その辺のところで、いま人間ができる「最適化」とは、現在与えられている「言葉」を使いながら、それが必ずしも「論理向きな言葉」ではないということを、常に意識しながら使っていくことなんじゃないかなと。


そうすることで、お互いの矛盾点ばかりを上げ連ねるというような「意味の薄いお話」が少しでも避けられるなら、それだけでも少しマシになるんじゃないのかなと。
(『曖昧な言葉で、曖昧な言葉の、曖昧な矛盾を、曖昧に指摘する』=「絶対無理」)
(これは、記号論理学を使っても同じでしょうね。たぶん。)


まぁ、そんなことを考えてみましたよ。








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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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