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「神話」から「人間の話」へ



「神話」と言うと、「ギリシャ神話」とか、日本で言えば「古事記」や「日本書紀」に出て来るような大昔のお話という印象がありますよね。


そういう「神話の時代」って、いつ頃までなんだ?ということを考えると、それは「宗教」と呼ばれているものが現れてくる前の時代までなんじゃないかと思うわけです。


「神話」と「宗教」って、似ているところもありますけど、根本的にかなり違うモノだと思うんですよね。

要するに、同じところは「神様が出て来るお話」ってところだけで、そのほかのところは、ぜんぜん違うと言ってもいいぐらいだと思います。


まず、「神話」の中の「神様」って、とにかく「人間的」なんですね。
人間以上に「人間的」と言ってもいいぐらいですよね。

やたらと嫉妬心も強いし、意地悪なこともよくするし、どこか弱い所があったりもするわけです。
それでも「神様」なんですねぇ。


こういう「神話」の特徴は、世界各地にある「神話」に共通している部分が多いように思います。


「宗教」の中の「神様」は「絶対者」ですが、「神話」の中の「神様」は「不完全」なところをたくさん残していて、
その辺のところが、「ほぼ人間並み」という感じです。
というか、『どこが人間と違うの?』っていう感じですよね。

どちらかと言えば、「人間臭さのカタマリ」と言った方がイイような気がします。


そうだとしたら、「神話」じゃなくて「人話」じゃないか!とも思いますけど、
それでも、やっぱり「神様」は「神様」であるわけです。
「じんわ」とも読めますけどね。


それから「宗教」の中の「神様」は、人間を導いたり、人間の規範に成ったりするという設定に成っていますが、「神話」の中の「神様」は、必ずしもそういう設定には成っていません。

他にも「神話」と「宗教」の違いはあるでしょうが、要するに、根本的な性質が違うということだと思います。


つまり、「宗教的な世界感」と言うのは、「絶対性」をもとにした「世界感」です。
言い換えれば、「理想化された世界感」と言ってもいいでしょう。

それに対して、「神話的な世界感」と言うのは「極めて不完全な世界感」、すなわち「現実的な世界感」ということなんだと思うわけです。


さて、そこで、何が言いたいかと言うと、もう、「理想化された世界感」を追うのはやめてもイイように思うわけです。
言ってみれば『「理想」は、もはや「理想」ではなくなった』ということです。


そもそも、「理想」や「絶対」を設定できるのは、「一元的な世界感」を前提にしているからです。

現在が「多元的な方向性」を目指していることは間違いのないことでしょうから、「理想」や「絶対」を設定できるはずがないわけで、一方で「多様性」や「多角的な方向性」を標榜していながら、実際には「理想」や「絶対」を捨てきれずに追いかけ続けて居るということの矛盾が、明らかになってきているんだと思うわけですね。

つまり、そこに「ダブル・スタンダード」が形成されてしまったことで、人間の精神が抑圧を受けるようになってきたわけです。


だから、人間は、もう「宗教」を卒業してもいいんじゃないか?と思っているわけですけど、それじゃあ「神話の世界」に戻るのか?というとと、そうでもなくて、要するに、もう、そろそろ「人間の話」をしてみてもいいんじゃないか?と思っているわけです。


なにも、「神様の姿」を借りて「お話」をする必要は、もう無いんじゃないでしょうか?
そこに「神格性」や「神通力」のようなものを持ち出してこなくても、ただの人間のお話」でも十分だと思うわけです。


「芸術の20世紀」は、本来、人間がそういうことを始めるための「時代」だったと思うのですが、その「芸術の20世紀」において、「天才」という新たな「神話」が築き上げられてしまったために、、未だ、「人間のお話」は語られていません。

それで「人間」が、いまだに背伸びしていなくてはならないんだと思うわけです。
もう、「人間の話」を「神格化」する必要はなく成っていて、「だらしない部分」も「見っともない部分」も、いまはもう、そのまま語ってしまってもいいんじゃないのかなと。


「理想」が「理想」でなくなった時点で、「現実」を「理想」と考えることができるようになったんだと思うわけです。
(つまり、「理想」と「現実」が、完全な反対語ではなくなったということですね)

つまり、「実現できないこと」を「理想」と呼ぶのではなく、「すでに実現されていること」こそが「理想」でもあるという考え方をしていくことで、「人間」という「不完全な理想」が手に入れられるんだと思うわけです。


その「不完全性」を受け入れられたときに、「人間」が初めて「人間」に成れるんだと思います。

そして、それこそが「人間の時代」で、その「人間の時代」が来れば、人間はきっと今より解放されるでしょうし、ありとあらゆることを、楽しめるように成るんじゃないのかなと。


そんな風に思っているわけです。

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※ 「スピリチュアル」の方などが、「非二元」という言葉を使っているのを見たことが
  あるんですが、勉強したわけではないので、はっきりしたことはわかりませんが、
  突き詰めていけば、やはり「一元論」にたどり着いてしまうような気がします。 
  でも、「非二元論」を支持している人が、「多様な人間性」を否定的に考えているよ
  うにも思えませんから、そうなると、やはり、「非二元」は、現在においては、やや、
  無理が出てきてしまうような気がします。


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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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