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「現実を壊すデフォルメ」と「異現実を創り出すデフォルメ」



「デフォルメ」と言うと「現実の形」を崩していくことを指して言う場合が多いと思うわけですが、「デフォルメ」には、「現実の形」とは根本的にチガウ「異現実の形を創り出す」というような「デフォルメ」もあってもイイんじゃないかと思っているわけです。

 ※本来の「デフォルメ」ではないのかも知れませんが、ここでは一応「デフォルメ」
  ということで話をします。
  「デフォルメ」は『形を崩す』あるいは『形を再構成する』というような意味だと思い
  ますから、『形を創り出す』の場合は「デフォルメ」ではないのかも知れませんが、
  『現実の形から離れる』と言う意味で、それを「一種のデフォルメ」と考えてみまし
  た。  
  おそらく、言語としては正しくないと思います。
   
「壊す」と「創り出す」の違いですね。
そこを重視していきたいわけです。


「デフォルメ」にも、『一度壊した形を再構成する』と言う前提があると思いますから、「創り出す」の要素もあるわけですけど、どうしても「デフォルメ」という言葉は「破壊的なイメージ」が強くなってしまうと思うわけです。

でも、そこを無視して、いっそのこと「破壊的な要素」をなくしてしまって、「創造的な要素」だけの「デフォルメ」を考えてみようというわけです。


そうは言っても、単なる「創造的な要素」だけでは、「デフォルメ」にはなりませんから、「現実の形を抜け出す」ということを前提にしているわけです。

まぁ、要するに、自分がそういう方向で作品を制作しているということなんですけどね。


そうは言っても、コジツケと言うわけでもなくて、そういう方向で制作していると、『これって、「デフォルメ」みたいな作業に成ってるんじゃないか?』と思うことがあるんですね。


一般的に言われているところの「デフォルメ」とは、まったく逆の経路をたどることに成るんですが、「現実の形」を崩すのとは逆に、なるべく何もない所から「異現実の形」を創り出そうとしていると、「現実のナニカ」に似て来るということがあるわけです。

『いやいや、現実の形に引っ張られてはいけないだろう』ということで、戻そうとするわけですが、どうしても戻れなくなる時が出てきます。

そういう「押し引き」の作業が、結果的に「デフォルメ」にとても近いように感じることがあるわけです。
(そういう絵は、「デフォルメ」された絵と似て見えると思います)

つまり、「現実の形」から始めて、それを崩していく過程と、何もない所から始めて「現実のナニカ」に近づいて行く過程が、順序は逆でも、結果的には似たような感じに成るんじゃないかと思います。


『だったら、普通の「崩すデフォルメ」でいいじゃないか?』と言われそうなんですけど、私はその「過程の違い」は大事だと思っているわけです。


「現実の形を崩すデフォルメ」によって制作された作品を見た人が、、最終的に辿り付く所は、やはり「現実の形」なんだと思うわけです。

結果的に、それがどんなに現実離れした形になっていたとしても、そこのところは同じだと思うわけです。
というか、それでないと嘘に成ってしまうと思います。

もしも、「現実の形を崩した作品」を見た人が、もしも、絶対に「元の現実の形」に行き着かないんだとしたら、その人は「何も見ていない」というのが本当のことだと思います。

つまり、「本当のこと」は、何も伝わらないということですね。


それに対して、「異現実の形を創り出すデフォルメ」によって制作された作品を見た人は、そこで「今までに見たことが無いナニカ」に出会うことに成るんだと思っているわけです。

たとえ、それが「現実のナニカ」に多少似ていたとしても、そこは同じなんだと思うわけですね。


もちろん、だからと言って、現実の模倣になってしまってもイイと言うことではないので、「自分の眼」をより厳しくしていかなければならないとは思いますが、少なくとも、それが模倣ではない所から生み出されたものである限り、それを見た人は「新しいナニカ」に出会うことに成るんだと思うわけです。


そこの所が、「異現実を創り出すこと」の「意味」なんじゃないのかなと。

そういうことを思うわけなのです。



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