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「芸術の神話」と「芸術の人間性」



現在考えられているところの「芸術」という概念には、一種の「神話」としての性質があると思っているわけです。

 ※実際は「神話」というよりも「一種の宗教」と言った方がいいのかもしれません。
  「神話」における「神」はけっこう人間的ですが、「宗教」における「神」は絶対的で
  す。
  ここで言っているのは、現在の「芸術」には、そういう絶対性があるという話です。


つまり、「芸術」に「人間業(わざ)を超えたモノ」という性質があてがわれてしまっているわけですね。

『これ、違うんじゃないか?』と私は思っているわけです。


「芸術」が「神話」であるからこそ「天才」は「神」のように扱われますし、その「神」の作品には、天井知らずの値段が付けられても、それが当然のことのように成ってしまうわけです。


もしも、「芸術」が「神話」ではなく「人間業の範囲」に収まっていれば、これほどまでの「芸術バブル現象」というのはあり得ないでしょうし、客観的に見た人が『それはどう考えてもオカシイヨ!』と思うハズです。
(思っていても言わないという空気がある)


今では、もう「芸術作品の値段」について「〇〇億円」と言われても、ほとんど驚くことすらなくなってしまいましたし、そういう「神様扱い」の中で制作している「芸術家」が存在することにも、何の抵抗もなくなってしまいましたが、「芸術」が「神話」=「神の世界のお話」でないのならば、これには、本来違和感があってしかるべきなんだと思うわけです。


さて、そこで「芸術」とは、本当に「神話のようなモノ」なんでしょうか?
はたまた、「天才」とは、正しく「神のような存在」なんでしょうか?


私は[現在の芸術」こそ、最も「人間的なモノ」であって、最も「不完全なモノ」であると思うわけです。
つまり、「神の世界」とは正反対だということですね。
だからこそ『天才の時代は、もう百年も前に終わっている』と思っているわけです。


そして、だからこそ『現在の芸術に求められるのは「人間性」である』と思っているわけです。

さらに言えば、『その「人間性」には「完全性」は無用であり、むしろ必要なのは「不完全性」である』とも思います。


つまり、「人間」が「人間であること」や、その「人間」の中の「不完全性」を恥じることなく自己表現できるように成ることこそが、現在の「芸術の目的」であると思うわけですね。


それなのに、「芸術」を「神話」に仕立てて「天才」を「神」に祭り上げてしまっている現状と言うのは、正反対と言ってもいいほど、見当違いなんじゃないかと思うわけですねぇ。

だから、もう「芸術」の「神話」は捨てて、「芸術」の「人間性」で行こうかなと。


そんな風に思うわけなのです。




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